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ハチドリのひとしずく


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日本国憲法について

1.憲法改正と平和主義について

1:二つの平和主義(日本国憲法と自民党の憲法改正草案)

5月18日の党首討論の憲法改正についての議論で、自民党が提出した憲法改正草案が平和主義を貫いていると安倍総理が述べ、それに対し、岡田代表が自民党が提出した憲法改正草案がフルスペックの集団的自衛権を認めており、とても平和主義を貫いているとは認められないと反論しました。その結果、同じ平和主義について述べているはずなのに話がかみ合わず、お互い自分の意見を述べただけになってしまいました。

その理由は、岡田代表が述べた平和主義とは現行の日本国憲法で規定された平和主義であるのに対し、安倍総理が述べた平和主義が、現在の国連憲章や平和主義を掲げ国際的に平和主義国であると認められている多くの国々がその国の憲法で規定している平和主義と同等の、一般的な平和主義であるからです。お互いに述べている平和主義の内容に違いがあるのですからそれを貫いているか(守っているか)どうかの議論がかみ合わないのは当然のことです。

どうやら、安倍総理の目指している平和主義は現在の日本の平和主義とは大きく異なるもののようです。どちらの平和主義が良いのかは国民が判断し選べばよいのですが、しかし、その違いをはっきりと示さずに、自民党の憲法改正草案も日本国憲法と同じく「平和主義を貫いている」と主張するのは、国民に、両者に違いがないものだと誤解させる危険な言い方だと思います。もっとはっきりと国民にその違いを説明するべきだと思います。国民が両者の平和主義の中身の違いをしっかり認識したうえで、どちらの平和主義を選ぶかを決定できるようにするべきだと思います。

2016年5月28日

安倍総理へのメール(衆議院議員安倍晋三(あべしんぞう)の公式サイトから投稿)
    ホームページの一番右の項目リスト下から3番目の ご意見・ご感想を送る から投稿

現在の日本国憲法の平和主義と自民党の憲法改正草案の平和主義との違いを国民にしっかり説明してください

総理は、平成28年5月18日の党首討論の岡田民進党代表との討論で、自民党が提出した憲法改正草案が平和主義を貫いていると述べ、それに対し、岡田代表が自民党が提出した憲法改正草案がフルスペックの集団的自衛権を認めており、とても平和主義を貫いているとは認められないと反論しました。その結果、同じ平和主義について述べているはずなのに話がかみ合わず、お互い自分の意見を述べただけになってしまいました。

<pこれは、岡田代表が述べた平和主義とは現行の日本国憲法で規定された平和主義であるのに対し、安倍総理が述べた平和主義が、現在の国連憲章や平和主義を掲げ国際的に平和主義国であると認められている多くの国々がその国の憲法で規定している平和主義と同等の、一般的な平和主義であるからです。

どちらの平和主義が良いのかは国民が判断し選べばよいのですが、しかし、その違いをはっきりと示さずに、自民党の憲法改正草案も日本国憲法と同じく「平和主義を貫いている」と主張するのは、国民に、両者に違いがないものだと誤解させる危険な言い方だと思います。もっとはっきりと、国民にその違いを説明するべきだと思います。国民が両者の平和主義の中身の違いをしっかり認識したうえで、どちらの平和主義を選ぶかを決定できるようにするべきです。

今回の党首討論では時間の制限もあり、踏み込んだ議論ができなかったのは仕方がなかったと思いますが、今後は、憲法改正についての平和主義についての議論では、「平和主義を貫いている」「貫いていない」というだけの水掛け論ではなく、現行の日本国憲法の平和主義と自民党の憲法改正草案の平和主義の内容の違いを明確にし、どちらの平和主義が今後の日本と世界の平和のためになるのかを、具体的になるべく分かりやすく議論しあい、国民にどちらの平和主義を選んだらよいかの判断材料を与える議論をしてくださるようお願いします。

2016年5月29日(日曜日)16時23分頃送信

2:日本国憲法の平和主義と自民党の憲法改正草案の平和主義の違いについて

日本国憲法の平和主義と自民党の憲法改正草案の平和主義の違いは、自衛権に対する考え方です。どちらの平和主義も戦争を放棄し武力による国際紛争の解決を禁止しています。しかし、現行の日本国憲法では国の交戦権は認めず、陸海空軍その他の戦力を持つことを禁止しているのに対し、自民党の憲法改正草案では自衛のために、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を持つことを明言しています(持っても良いという許可ではなく「国防軍を保持する。」と定めています)。

日本国憲法は、第二次世界大戦の敗戦後に連合国軍の監督のもとで制定され施行されたものです。つまり、日本と戦争をし勝った国により、日本が二度と戦争ができないようにするために作られた憲法です。だから、戦争と武力の行使の放棄を宣言し、戦力(軍隊)を持つことを禁止し、外国と戦う国の交戦権も否定しています。つまり、本来は、決して外国の軍隊と戦うことは許されない憲法なのです。しかし、そうすると、日本が外国から攻められた場合でもそれに反撃し戦うことができないため、外国から直接攻められたときにのみ、自衛のための武力行使をすることだけは認められているのです。現在では、昨年成立した安全保障関連法により、憲法解釈の変更により自衛の範囲をさらに広げ、政府が武力行使の新三要件を満たしていると判断した場合は、日本が直接攻撃を受けていなくとも、自衛措置として外国に対して武力行使ができるようになりました。しかし、本来は、日本が二度と外国と戦争ができないようにするために作られた憲法なのです。つまり、簡単に言うと、日本国憲法の平和主義(以後、日本の平和主義と記す)とは、日本を守るためにどうしても必要な時以外は決して武力行使をしない(できない)「戦いを否定する平和主義」です。

一方自民党の憲法改正草案では、日本に、現在の国連憲章や平和主義を掲げ国際的に平和主義国であると認められている多くの国々が保有する自衛権と同等の、制限のない自衛権を認めています。国連憲章では原則として武力(軍隊の力)を使うことを禁じています。しかし、自分の国が攻撃されたり、仲間の国が攻撃されたりしたときは、武力で反撃することを認めています。分かりやすく簡単に言うと、自分の国を守る権利を「個別的自衛権」、仲間の国を守る権利を「集団的自衛権」と呼びます。そして、集団的自衛権では仲間の国が攻撃されたり、内戦などの紛争によりその国の正当な政府の存立が危険になった場合、自分の国にはその影響がなくても、仲間の国(政府)を助けるために、仲間の国が戦っている相手に対し武力行使をすることができるのです。つまり、自民党の憲法改正草案の平和主義とは現在世界で広く普及し認められいる、一般的な平和主義(以後、一般的平和主義と記す)であり、これは、仲の良い国々で協力して悪い国(勢力)と戦い、悪い国(勢力)をやっつけて世界を平和にしようとする「平和のために戦う平和主義」です。

両者の違いを具体的に説明するために、日本が外国から武力攻撃を受けた場合と、反対に、アメリカ(本土)が外国から武力攻撃を受けた場合が良く例に出されます。日本の平和主義では、日本が外国から武力攻撃を受けた場合、日米安全保障条約に基づき、アメリカは日本の自衛隊とともに日本を守るために戦うことができます。しかし反対に、アメリカ本土が外国から武力攻撃を受けた場合、日本はアメリカを守るためにアメリカに自衛隊を派遣し戦うことはできません。一方、一般的平和主義では、日本が外国から武力攻撃を受けた場合はもちろんアメリカ(本土)が外国から武力攻撃を受けた場合も日米が互いに軍隊を出し協力して防衛のために戦うことができます。また、2001年の9・11テロの後にアメリカが起こしたアフガニスタン戦争などのような、アメリカが自国の防衛のために外国に軍隊を派遣し武力攻撃を行った場合、日本もその戦闘に参加できるようになります。

上記の両者の違いを単純に比較すると、日本の平和主義の下での日米安全保障条約は、アメリカにとってのみ負担の大きい、不平等な関係と思われます(その代わりに日本は、アメリカに日本国内でアメリカ軍が施設及び区域を使用することを許可し、その駐留費用の多くを負担しているのですが)。安倍総理は、この不公平な関係を少しでも改善するために、昨年、安保関連法を制定し、次は、憲法を改正し、アメリカと日本の不公平な関係を完全に解消し、日本もアメリカや他の多くの平和主義国と同じように、国際社会の平和のために国連軍に参加したり、集団的自衛権を行使し、アメリカや考えの一致する他の国々と協力し、武力行使をして世界の平和を勝ち取ることを目指しているのだと思います。しかし、世界平和のために、本当にそれが良いことなのでしょうか。日本は、あくまでも現在の日本の平和主義を貫き、武力行使とは全く違う方法で世界の平和の構築と維持に協力することの方が、世界の平和に必要なことなのではないでしょうか。日本と世界との関係に目を向け、日本が世界平和のためにできること、本当にしなければならないことをじっくり考える必要があります。そして、その考えに基づき、世界の平和のために、日本に必要な平和主義はどちらなのかを考えなければなりません。以下、世界の平和のために、日本にとって必要な平和主義について考えます。

2016年6月3日

3:日本と世界の平和のために日本に必要な平和主義

1)日本の立場と集団的自衛権

戦後71年、日本は世界に例を見ない平和憲法のもと、平和主義国家とし専守防衛に徹し、自国からは決して武力行使をしない国であると認識され、国際世界では特殊な位置づけをされてきました。いろいろな批判や不満を持つ国もあったかもしれませんが、とにかく、日本は平和憲法があるから海外に武力を派遣することができないと認めてもらっていました。日本がこの奇跡ともいえる特殊な立場を放棄し、集団的自衛権を行使する、一般の平和主義国家になることが、世界の平和にとり本当に望ましいことなのでしょうか。

確かに、世界には正当な理由のない他国への侵略や、民族や宗教の違いから生じる紛争やテロが絶えません。そして、そうした争いを防いだり終結させるためには、国家が自国の治安を維持したり犯罪を取り締まるために警察を持つことと同様に、国際的な警察が武力をもって、侵略国やテロ組織と戦うことも必要なことです。本来は、この国際的な警察は、国連がその役割を担い、武力行使は、国連の安全保障理事会の決議に基づき国連軍が行い、国連が中心となり世界の平和を守ることになっています。しかし、国連加盟国の中にも、それぞれ意見や利害の対立があり、実際には、国連軍が結成され派遣されることはほとんど望めません。残念ながら、国連は世界の平和を守るための警察の役割を十分にはたすことはできないのです。そのため、国連憲章で集団的自衛権を認めているのです。

2)集団的自衛権の本質と危険性

集団的自衛権とは、簡単に言うと、国際社会において侵略や紛争などが起こった場合、国連での意見の不一致により、直ぐには国連軍を派遣できない場合に、一般の国が仲間の国を守るために、一国或いは他の国々と協力して軍を派遣し、武力行使をする権利です。しかし、これは使い方によっては世界的な戦争を引き起こし兼ねない非常に危険な権利です。国連で意見が一致せず国連軍を派遣できないと言うことは、つまり、A国とB国との間で紛争が発生した場合、A国を守ろうとする国と反対にB国を守ろうとする国があると言うことです。そして、その国々が互いに集団的自衛権を行使し軍を派遣し武力行使をしたら、世界は2つの勢力に別れ戦争をすることになってしまいます。幸い、今のところはそのような事態には成っていませんが、集団的自衛権の行使には、常にその危険性が存在しているのです。

また、集団的自衛権に基づく第三国による武力行使は、当事国の中に第三国に対する新たな恨みや反発を生じさせることになります。なぜならば、集団的自衛権の行使とは、第三国が紛争の当事国を助けるために行うと言っても、結局は第三国が自国の利益のために行うことがほとんどだからです。第三国は、自国の軍隊を危険にさらし、犠牲者を出す覚悟をもって、紛争当事国に軍隊を派遣し武力行使をするのです。そこには、何かしらの自国に対するメリットが、しかもかなり大きなメリットがなければなりません。結局、第三国は、ほとんどの場合、自国の利益のために紛争当事国に軍隊を送り武力行使を行うのです。

3)戦争や紛争、テロの根本的原因

国内で戦争や紛争が起きた場合、一番苦しむのは一般国民です。国土は荒らされ、家や財産を失ったり、家族や親戚、友人、知人を失います。たとえ、戦争や紛争に勝利したとしても、その恨みを忘れることは容易なことではありません。ましてや、直接には関係のない第三国の軍隊により、空爆(誤爆を含む)や市街戦により家を壊され、家族を殺されたりしたら、その悲しみと怒り、そして、そこから生じる第三国に対する恨みや憎しみは、生涯心の傷として残り続けることでしょう。

また、国内での戦争や紛争は、難民を生み出すと共に、国の内外に多くの、新たな経済的困窮者を生みだします。戦闘により、家や田畑を失ったり職を失った人たちや、働き手である家族を失った老人や子供たちなどは、たとえ戦闘が終わったとしても、今度は生きていくために貧困と戦わなくてはなりません。私は、この戦争や紛争の後にもたらされる貧困が、国際社会の平和にとっての一番の脅威だと考えます。

私は、戦争や紛争やテロの根本的原因は、ほとんどが経済的理由だと考えます。たとえ、宗教的な考えや国家のイデオロギーが違っていても、国が豊かで国民が幸せな生活をおくっていたら、決して争い事は起こさないと思います。(ただし、戦争を起こすことを決定する人たちと実際に戦場に行き戦う人たちが違っている場合は違ってきます。このことについては、あらためてじっくり考察したいと思います。)領土問題でさえも、その領土を手に入れることに直接または間接或いは将来的に何の経済的メリットもなければ、戦争を起こしてまでその領土を手に入れようとはしないでしょう。結局、全ての争い事の原因の根底には、経済的理由が存在しているのです。特に、戦争により国が荒廃してしまった国では、国内での貧富の差、海外との経済格差などの貧困問題が根底にあり、それが、経済的に虐げられた人々に不満を与え、その人たちが心の中に抱えていた外国や対外勢力に対する恨みや憎しみを増大させ、それが、テロや新たな紛争へと繋がっていくのです。

戦いによる国の荒廃が新たな貧困と憎しみを生み、それが今度はテロ組織や反体制勢力の温床となるのです。戦争が新たに戦士を生み、それが新たな紛争の種となるのです。戦争による貧困と憎しみが新たな貧困と憎しみを生みだすのです。この悲劇的な恐ろしい連鎖を止めるのは非常に困難なことです。しかし一方、この貧困と憎しみの連鎖は武力行使によりいとも簡単に始まってしまいます。また、武力行使が集団的自衛権を名目に第三国により行われた場合、その憎しみは当時国だけにとどまらず、武力行使に参加あるいは武力行使を支援した国にも向けられることになります。その結果が、現在世界中に広まりつつあるテロや反体制勢力による紛争となっているのです。

現在、国際社会はテロや反体制勢力を武力をもって抑えようと努力しています。それは、確かに必要なことです。しかし、上記のように、武力による押さえつけは、新たな憎しみの連鎖を生み出すことになり根本的な解決には成り得ません。武力により押さえつけなければ世界平和は増々脅かされるが、武力により押さえつけるとそれが新たな紛争の種になる。これではいくらやってもきりがありません。この、悲劇的で恐ろしい連鎖を止めるためにはどうしたらよいのでしょうか。以下、その点について考えていきたいと思います。

4)戦争や紛争、テロをなくすために必要なこと

戦争や紛争、テロを引き起こす悲劇的で恐ろしい連鎖を止めるために必要なことは、第一に戦争や紛争をできるだけ早く止めさせることです。現在でももちろん、国際社会が協力(仲の良い国同士が)し、武力介入も含めその努力をしています。しかし、私はその方法にだいぶ問題があると思います。現在、紛争を止めさせようとする場合、第三国がする行動はほとんどの場合、集団的自衛権の行使として、どちらか一方の国や勢力(たいがいは、その国や勢力が勝った場合自国に利益のある方)の応援をし、敵対する勢力を打ち破ることにより争いを終わらせようとします。しかし、それでは、上記のように、その後また戦争や紛争、テロなどが起きる原因を作ることになってしまいます。一番大事なのは、当事国(勢力)のどちらかを応援するのではなく、とにかく双方に一刻も早く武力行使を止めさせることです。どちらが良いか悪いかはその後の判断です。戦争以外の通常の社会では、もし、二人の人間が喧嘩を始めた場合、その喧嘩を止めさせるためにどちらか一方を応援し、相手を打ち負かして喧嘩を止めさせることは法律的に許されません。とにかくまず、喧嘩を止めさせ、その後双方の言い分を聞き解決策を考えるものです。それを行うための公的な機関が警察であり、裁判所です。それが、戦争となったとたん、そのような法的な手続きは忘れ去られ、勝つことのみを考えるようになるのです。戦争の場合のみ、人が人を殺しても何の罪にも問われず、また人は裁判を受けることもなく戦場で殺されるのです。通常の社会では決して許されない、非人道的なことが当たり前に行われるもの。戦争とはそういうものです。

第二に必要なことは、戦後の経済復興です。とにかく、貧困をなくすことです。まずは、少なくとも、誰もが安心して眠れ、生きていくのに十分な食料を手に入れることができるようにすることです。そして、次は産業の復興と教育の普及です。大人には、誰もが自分で働き、自分や家族を養っていけるだけの収入を得られる環境を提供し、子供たちには、必要な教育を受けられる学校を整備し、学校に通える環境を整えることです。経済的に裕福な先進国である第三国が、支援や産業復興という名目で、当事国の自然資源や労働資源を搾取することは絶対にあってはなりません。本気で世界平和を望むならば、先進国は、その生活のレベルを下げてでも、自国の経済のためではなく、真に当事国のためになる経済支援をしなくてはなりません。もし、世界中の人々が、現在の先進国と同じレベルの生活をしたら、地球1個の資源では全く足りず、地球2個或いは3個分の資源が必要になると聞いたことがあります。それなのに、日本を含む先進国では、常に、現状に満足せず、よりよい生活を求め続けています。ちょっと世界に目を向けて、現在の地球の状態を見て考えれば、それがどんなに無謀で利己的なことであるかは簡単にわかります。それなのに、自分たちの幸福ばかりを追い求めていてる私たち先進国には、世界平和を語る資格はないのかもしれません。すでに十分豊かな生活を送っている先進国が、貧困から抜け出そうと命をかけて戦っている人々に、自国の利益のために、横から口を出したり武力行使をしたら、反発され恨みを買い、信用されなくなるのは当然です。

そのため、理想的には、国連が中心となり、完全に中立な国連軍を派遣し戦闘を止めさせ、戦闘が止んだ後に、国連の司法機関である国際司法裁判所などでお互いの言い分を十分に聞き、武力衝突の原因の解明や両国(勢力)間の問題点がどこにあり、どうしたらそれを解決できるのかを話し合い、調停案を提案し、双方が納得できる解決を導き、その後の戦後復興の経済支援も国連が中心となり、真に当事国に必要な、当事国のための復興支援をすれば良いと思います。しかし、現在の国際情勢ではそれは非常に難しいことです。このまま何の努力もしなければ、何年たってもこれを実現するのは不可能だと思います。私は、日本が、この理想を実現するための役割をするべきだと考えます。

日本国憲法の平和主義をとる現在の日本は、幸い、先進国であり、国連においてもある程度の影響力があります。また、アジアに位置する完全な島国であるため、地理的・歴史的に、そして宗教的にも、現在紛争が多発している、中東やアフリカの国々と目立った対立はなく、欧米の先進国に比べそれらの国々と良好な関係を保っています。その上、日本は、戦後71年、世界に例を見ない平和憲法のもと、海外で武力行使を一度もしたことがなく、自国からは決して武力行使をしない国であると認識され、国際社会では特別な立場に位置しています。これは、国際紛争解決の仲介役をするのに非常に適した立場です。日本は、現在のこの立場を生かし、もっと積極的に国際紛争解決の仲介役をするべきです。また、同時に国連において、戦争を止めさせるためだけの、完全に中立な国連軍の派遣を国連の安全保障会議で速やかに議決するよう、国連加盟国に全力で働きかけるべきです。戦争を止めさせることに反対できる国は少ないと思います。どちらか一方の国や勢力を助けるためでなく、とにかく戦争を止めさせるための国連軍の派遣なら、日本が必死に頑張れば実現する可能性は充分あると思います。

一方、日本が現在の憲法の平和主義を捨て、自民党の憲法改正草案の平和主義を取り、一般の平和主義国家となり集団的自衛権を行使し、欧米諸国と一緒に海外で武力行使をしてしまったら、日本は国際紛争解決の仲介役に成れる資格を失なってしまいます。紛争を武力でなく話し合いで解決するためには、紛争の当事国の両方から信頼され、自国の利益のためではなく真に平和のために行動する、完全に中立な仲介者が必要です。仲介者が完全に中立であると紛争当事国の双方が信用し信頼しなければ、仲介者がいくら話し合いの場をもうけても、なかなかそれに参加しようとはせず、たとえ参加した場合でも自国の権利ばかりを主張し、時には本心を隠したり嘘の説明をし、自国に不利な仲裁案は認めず、単に形だけの参加にとどまってしまうことでしょう。だから、紛争当事国に、完全に中立であり信頼出来る、と考えてもらえる仲介者が非常に大切なのです。

現在の日本は、現在の国際社会において、紛争解決の仲介者になることができる国の、ほとんど唯一の有力候補です。しかし、今の日本は、アメリカとの関係が深く、アメリカよりの立場を取ることが多く、決して完全に中立とは言えません。また、他の国々への援助においても、純粋に被援助国の発展のためではなく、単なる日本の工業製品の提供や、日本へ輸入することが目的の資源開発など、日本の利益のための援助と考えられても仕方ない事例があります。難しいことではありますが、日本がそれらのことを改め、真に中立で自国の利益のためではなく国際社会の平和のためだけに、国際紛争解決の仲介者になることが、今後の国際社会の平和のために一番必要なことです。

以上のことより、私は、国際社会の平和を実現するために日本に必要な平和主義とは、自民党の憲法改正草案の平和主義である「平和のために戦う平和主義」ではなく、現在の日本国憲法の平和主義であり、日本が国際紛争解決の仲介者となることを可能とする「戦いを否定する平和主義」だと考えます。

2016年6月13日

2.自衛隊の憲法への明記について

1:自民党改憲案について(2018/9/17)

9月16日放送のNHK日曜討論で、安倍総理が憲法改正の理由を自衛隊を合憲とするためだと言っていました。しかし、自民党改憲案(自民党「改憲案 「9条の2」を解釈する を参考にしました。)を読んでみて、総理の真の目的が、自衛隊が安全保障関連法(以下、安保法と記載)に基づき海外で武力行使をしても憲法違反とならない様にするためだという事だとはっきりとわかりました。
以下、その詳細を述べさせて頂きます。

安保法の国会での審議で政府は、安保法は決して憲法違反ではないとし、多くの憲法学者が憲法違反だと指摘していたにも関わらず、強行採決により成立させました。しかし、実際は、政府も安保法が憲法違反である可能性が非常に高い事は充分に認識しており、安保法に基づき、自衛隊を海外に派遣し武力行使をさせた場合、裁判により安保法が憲法違反であると認定されてしまうことを恐れています。

日本では、自分に利害関係がない事で裁判を起こす事はできません。その為現在は、安保法が憲法違反であるかどうかを裁判で争う事は不可能です。しかし、安保法に基づき、自衛隊を海外へ武力行使の為に派遣した場合は、自衛隊員自身やその家族により、安保法が憲法違反であると裁判を起こす事が出来る様に成ります。

裁判で争った場合、安保法が憲法違反だと判決される確率は非常に高く、その為、苦労して成立させた安保法ですが、それを実際に使う事は今の憲法のもとではほとんど不可能です。だから総理は、憲法への自衛隊の明記にかこつけた、自衛隊が海外で武力行使をする事を可能にする為の憲法改正に執着しているのです。

今回の安倍総理の憲法改正の目的には、災害や事故の時に国や国民のために働いてくれる自衛隊が、違憲といわれることをなくし、自衛隊員やその家族が安心し、誇りをもって自衛隊の業務にあたることができる様にすることだけではなく、自衛隊が安保法に基づき、海外で武力行使をしても憲法違反とならない様にすることも同時に含まれているのです。しかし、総理はこの点に関しては全く触れておりません。もし、意識的に国民に知らせないようにしているとしたら、非常に恐ろしいことです。

憲法改正は最終的には国民投票で決まります。だから、憲法改正で政治家がしなければならない大切なことは、憲法改正の発議をすると同時に、その改正の持つ意味をしっかりと国民に示し、理解してもらいその上で改正の是非を国民に判断してもらうことです。これは、野党、与党に関係なくすべての政治家が責任をもってやらなければならないことです。また、マスコミも含め国民も、憲法改正の持つ正確な意味を自ら考え、知る努力をする必要があります。

私も、災害や事故の救助や侵略に対する防衛準備など、国や国民を守る為の活動をしている自衛隊を合憲とする為ならば、憲法改正をしても良いと考えます。しかし、今回の自民党改憲案は自衛の範囲を越える武力行使につながるものでとても賛成できません。

もちろん、国民の中には、国を守るためには集団的自衛権に基づき、同盟国や友好国と協力し、海外で武力行使を行う必要があると考える方々もいると思います。もし、そういう考えの人たちが国民の過半数を占め、それで国民投票により憲法が改正されるならばそれはそれで仕方のないことだと考えます。しかし、今回の自民党の憲法改正案が、災害や事故の救助や侵略に対する防衛準備など、国や国民を守る為の活動をしている自衛隊を合憲とする為のだけの物ではなく、自衛隊が海外で集団的自衛権に基づき武力行使を行うことを可能にするものであると知らずに(知らされずに)、国民投票により憲法が改正さられるようなことがあってはならないと考えます。

現在の安倍政権は、意識してか無意識かは分かりませんが、国民に対し「由らしむべし、知らしむべからず。」の対応が多い様に感じられます。憲法改正は非常に重要な問題であり、特に今回の9条の改正は、今後、日本が戦争をする国になるか、戦争を否定する国でい続けるかを決定するものです。どちらを選ぶかは国民の判断ですが、国民が憲法改正の本当の意味を知り、誤解なく、自分の意思に従い正しい選択をできる様にすることが一番大切です。そうでなければ、日本国は国民の物ではなく、一部の特権階級のものとなってしまいます。一人でも多くの国民がこの文章を読み、真に自分の意思に基づいた判断をできるようになることを願います。

2018年9月17日

2:私が考えた改憲案について(2018/9/23)

1)私の改憲案(2018/9/23)

私は、国を守るために集団的自衛権に基づき、自衛隊が、海外で同盟国や友好国と協力し武力行使をする事には反対です。そのため、上記の、自民党改憲案には賛成できません。しかし、災害や事故の救助や侵略に対する防衛準備など、国や国民を守る為の活動をしている自衛隊を合憲とする為ならば、憲法改正をしても良いと考えています。そのため、どのように憲法改正をすれば、自衛隊を合憲とし、同時に、自衛隊が集団的自衛権に基づき海外で武力行使をすることを違憲とすることができるかを考えました。

以下に、私が考えた憲法9条の改正案を示します。自民党改正案にならい、現在の9条は変更せず、「9条の2」を追加する形で考えてみました。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第9条の2 前条の規定の範囲内で、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることができる。そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持することができる。

2 自衛隊の防衛行動は専守防衛に基づき、我が国の領土・領海・領空を侵犯された場合と我が国及び国民に武力攻撃が加えられた場合にのみ、防衛のため武力行使をすることができる。自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

以上です。

2018年9月23

2)私の改憲案の解説(2018/9/23)

(1)自民党案との違い(2018/9/23)

自民党案との違いを解説するために、まず、現在わかっている自民党の改憲案を示します。ただし、自民党の改憲案は、実際はまだ公式に発表されたものではないので、あくまでも現在(2018/9/21)までに報道されている、有力案です。実際に提案される場合は変更になる可能性もあります。

自民党憲法改正推進本部の執行部が有力と考える案

9条の2 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

② 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

朝日新聞デジタル2018年3月22日21時05分の記事より引用

自民党の改憲案では、我が国の自衛権を「国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置」と規定しており、国の自衛権に制限がありません。そのため、集団的自衛権による海外での武力行使が可能となっています。その上「前条の規定は、・・・を妨げず」と規定することにより、国が自衛権を行使する場合は、現在の9条に定められている規定に制限されないことが明文化され、事実上、現在の9条の規定が無効化されています。

一方、私の改憲案では、国の自衛権を「前条の規定の範囲内で、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることができる。」とし、自衛権の範囲を現憲法の規定の範囲内という、明確なものとしています。

また、自衛隊の行動についても、自民党案では、「法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」となっており、国会と国会で定めた法律の制限の範囲内で行動できるため、憲法が自衛隊の行動範囲の規制とはなっていません。そのため、国会の審議の結果により行動範囲をいくらでも拡大することが可能となっており、憲法を改正することなく、国会の審議だけで行動範囲を拡大することができてしまいます。

一方、私の改憲案では、憲法により自衛隊の自衛行動の範囲をしっかりと規定しており、自衛隊の防衛行動を「専守防衛に基づき、」と、現在同様、先制攻撃を許さないものとしています。しかし、武力行使の発動条件を「我が国の領土・領海・領空を侵犯された場合と我が国及び国民に武力攻撃が加えられた場合にのみ」とし、発動条件に明確な制限を付けると同時に、新たに、我が国の領土・領海・領空が侵犯された場合は直接的な武力攻撃を受けていなくとも、防衛のために武力行使をできる様にしています。

以上が私の改憲案と自民党の改憲案との違いですが、まとめると、自民党の改憲案は、現行の憲法の規定よりも国の自衛権を優位なものとし、国の自衛のために、現在の憲法の平和規定を無効にし、自衛のためならば、法律を定めることにより、自衛のために必要な、いかなる武力行使も可能とするものです。一方、私の改憲案は、自衛の権利を現行の憲法の範囲内とし、現在の平和憲法の理念を変えず、憲法に「専守防衛に基づき」と明確に記述することにより、自衛のための武力行使の範囲を憲法により規定し、法律の改正により、安易に、自衛のためにできる武力行使の範囲を拡大することのできないものとなっています。

憲法9条の改正は、今後の日本の平和主義を決定するものです。極端な言い方をすると、日本が戦争をする国になるか、戦争を否定する国でい続けるかを決定するものです。幸い、一般の法律と違い、憲法改正の是非は国民投票で決まります。政治家ではなく、国民が直接自分の意志で賛否を選べるのです。どちらを選ぶかは国民の判断ですが、国民が、国会により提案された憲法改正案の本当の意味を知り、誤解なく、自分の意思に従い正しい選択をできる様にすることが一番大切です。私のこの文章が、今後提出されるであろう、憲法改正案の真の意味を理解するための一助になることを強く願います。

2018年9月23


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2017年9月30日


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初版:2016年5月29、最終更新:2019年5月25日
ハチドリのひとしずく:日本国憲法
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